====================丼帝国====================

藤井001

2004

藤井将雄(ふじい まさお)本名:政夫

19681016 - 20001013

プロ成績:6年間で153試合に登板、13勝8敗3セーブ、防御率3.90

 

佐賀県唐津市湊出身、唐津商業高校より日産自動車九州を経て1994年ドラフト4位

指名で福岡ダイエーホークスへ入団。

「炎の中継ぎ」として活躍し、当時のパ・リーグ最多ホールド記録を樹立。

1999年のパ・リー初優勝の原動力となる。

日本シリーズ中に胸部の痛みを訴え、翌シーズンは入退院を繰り返しつつ2軍での調整を

計ったが、チームのV2を見届けたのち、10月13日に肺がんのため息を引き取った。

享年31歳

 

日本シリーズON決戦直前に衝撃が走った。昨年のホールド王の急死。

球団関係者によると「この日午前までは病院のベッドの上で元気に会話をしていた」。

午後7時頃に容体急変し呼吸が止まり、10時過ぎに死去した。

病院に駆けつけた王監督もショックを隠せなかった。

 

藤井投手の身体に異変が生じたのは1999年の日本シリーズ直前のメディカルチェック

だった。肺に異常が見つかったものの、軽症ということで、日本シリーズにも登板。

中日を倒してのダイエー球団初の日本一に貢献した。

藤井投手は日本シリーズ第2・5戦に登板、計2イニングを投げたが、その時も

「マウンドで胸がゼーゼーする」と周囲に漏らしていたという。

しかし年が明けた2000年キャンプ直前に再検査した結果、入院することに。

球団は病名を「間質性肺炎」と発表した。(本人に病名を伏せるために、事実は「肺ガン」

で手のほどこしようがない状態だった)

日本一達成後、医師が母・正子さんに「肺ガン」であることを伝えた。

その後、正子さんが親友の若田部投手に肺ガンであることを伝えた。

王監督にも伝えられていたという。

 

当初、医師から余命3カ月程度と伝えられもしたが、人並み外れた体力と気力で病魔と

戦った。抗ガン剤も効果を発揮した。

その後回復し5月中旬からは二軍戦に登板。王監督も「必要な戦力。後半戦に間に合って

くれれば」と後半戦の戦力として計算を開始したほどだった。

藤井投手は肺ガンでありながら、ウェスタン・リーグで6試合に登板していた。

入退院を繰り返しながら、再起の闘病生活を続けていたのだ。

しかし、7月に入って再び症状が悪化し再入院。その後入退院を繰り返した。

 

チームがM3とした10月上旬。藤井投手自ら広報担当に「皆に会いたい」と電話を

入れ、チームメイトら50人がお見舞いに行った。

10月7日のV2、胴上げの瞬間を見ることができたのは奇跡に近かったという。

胴上げの際に、入院中の藤井を慕うナインが背番号「15」をつけたハリー人形を掲げ

藤井投手の復帰を願ったが叶わなかった。

 

13日、容体急変を聞いて駆けつけた王監督、秋山選手らが病室へ。

小久保選手は藤井投手のユニホーム・スパイクを持って駆けつけた。

その後続々と選手が駆けつけ、深夜まですすり泣きが聞こえたという。

 

seikyo

 

ホークス投手陣のまとめ役で、「若頭」と呼ばれ親しまれていた。

通夜大型バス2台に一軍選手をはじめダイエー球団関係者が弔問に訪れた。

選手たちはいまだ藤井投手が亡くなったことが信じられない表情で祭壇の藤井投手の

写真を眺めていた。

この日は奇しくも故人32歳の誕生日。祭壇にはバースディケーキが供えられていた。

葬儀には全ホークス選手が参列した他、兄貴分であった工藤公康も参列。

工藤は1999年オフに巨人に移籍しているが、「彼が病気だと知っていたら、巨人には

行かなかったかもしれない」とも。

選手代表して若田部投手が「いつも明るくチームを引っ張っていってくれてありがとう。

僕たちはずっと藤井さんと一緒です。日本シリーズまで気合いを入れてください」っと

涙ながらの弔辞を述べた。

そして、藤井投手が闘病中に書いたメッセージが読み上げられ、会場の涙を誘った。

出棺では、チームメートや巨人の工藤投手らが棺を運び、見送るファンの間から

「藤井選手!ありがとう!」の声が上がった。

 

001

 

001 002 003

 

fujii_photo

 

彼の背番号15にちなみ、福岡ドームの15番通路は「藤井ゲート」と呼ばれ、記念の

プレートと、「皆様へ」で始まる藤井の最後のメッセージが入り口に掲げられている。

背番号15は2001年以降、欠番となっている。

福岡ソフトバンクホークスでも受け継がれることが決定。

将来、背番号15を永久欠番に制定する事を示唆。

 

fujii.jpg

 

☆☆☆ 藤井将雄投手のメッセージ ☆☆☆

 

皆様へ

今の自分があるのは、過去から現在において出会ったすべての人のおかげだと思います。

その中の誰一人がかけても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。

だから、すべての人に感謝しています。

プロ野球選手はまわりの人々に夢と希望を与える職業だという人がいます。

でも、ボクは逆です。たくさんの人から夢や希望、エネルギーをもらってきました。

そのことがうれしかったんです。

6年前の入団発表のとき、王監督を胴上げしたいと抱負を述べました。

その願いも去年のリーグ優勝と日本一で無事に達成できました。

そして、今年はチーム全員で頑張ってつかんだV2。

すばらしい野球人生だったと胸を張れます。

この病気には自分自身、すごく勉強させてもらいました。

孤独や優しさ、思いやり、不安。人間の本当の感情に触れることができました。

今までのボクは上っ面のとこしか見えてなかったんだなとも思いました。

すべては、この病気が教えてくれたことです。

この一年間、ゆっくりと休ませてもらいました。

あらためて野球を頑張ろうという気持ちにさせてくれた中内正オーナー代行はじめ

球団の方々、王監督、チームメートの皆、感謝の気持ちは忘れません。

そして、生きる希望を与えてくださったファンの皆様、ありがとうございました。

これからもダイエーホークスを応援してください。
藤井将雄

47669

本も出版されています

 

 

メニューへ

 

====================丼帝国====================

inserted by FC2 system